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L1-INP(リンプ)細胞の発見

 これまでに、記憶の形成に重要な海馬や側脳室の脳室下帯では、大人になっても神経細胞が作られることが明らかになっています。一方、認識・思考・意識などといった高度な脳機能を生みだす大脳新皮質において、大人になっても神経新生が生じるかどうかは、100年以上前から議論が続く大きな問題でした。

 私たちのグループは、細胞分裂している細胞に蛍光たんぱく質を作らせることにより、新しい神経細胞を作ることができる神経前駆細胞がラットの大脳新皮質の表層に存在することを発見しました。さらに脳に虚血(脳虚血)を起こすと、この細胞は、てんかんや過剰な神経活動を抑えることのできる抑制性神経細胞を盛んに産生することも分かりました。「大脳新皮質の第1層にある神経前駆細胞」という英語の頭文字を連ねて「L1-INP細胞」と名付けました。

 

 今後、虚血によらずとも、薬剤などの投与により、これらのL1-INP細胞の増殖や新しく産生された神経細胞の生存を促進させることで、てんかんや認知機能の低下を防ぐ新しい治療法の確立につながる可能性があります。また、統合失調症などの精神疾患では大脳新皮質の抑制性神経細胞が減少する中間表現型が知られていますが、抑制性神経細胞を増殖・維持させることにより、精神疾患の治療にも結びつく可能性を持っています。

<研究の背景と経緯>

 大人の脳は、非常に再生しにくいことが昔からよく知られています。そのため、事故や疾病による脳の損傷により、多くの人たちが後遺症を抱えたまま一生を過ごさなければならず、患者のQOL(生活の質)の低下や家族の負担も甚大なものとなっており、一刻も早い治療法の確立が望まれています。

 一方、近年になり、大人の脳でも新しい神経細胞が盛んに作られることが、記憶に関連する海馬の歯状回や、においの感覚を伝える嗅球の神経細胞が作られる側脳室の脳室下帯で明らかになっています。これらの領域に存在する神経細胞の元になる神経幹細胞や前駆細胞を利用して、体外で増殖・分化させた後に損傷した脳の領域に移植する方法を開発する試みが行われています。また、再生医療で注目されている人工多能性幹細胞(iPS細胞)を用いた脳・神経系の治療法開発の試みも同じ論理に基づいています。しかし、損傷部位に存在する神経細胞の種類は多岐にわたるため、幹細胞から目的の神経細胞だけに分化させることが困難です。増殖細胞の移植によるがん化などの問題もあり、体外からの細胞移植による脳損傷・疾患の治療法は、まだ開発途上にあるのが現状です。

 脳損傷に対する治療法のもう1つの柱と考えられているのは、もともと脳内に存在する神経幹細胞や前駆細胞を利用して、体内に存在したまま増殖・分化させる治療法です。この治療法を確立するためには、対象となる脳の領域に存在する神経幹細胞や前駆細胞を同定することが必須となります。最近の研究により、損傷によって大脳新皮質における神経細胞の新生が報告されており、脳内に大脳新皮質の神経細胞を産生する神経幹細胞や前駆細胞が存在するのではないかと推測されていました。しかし、成熟期の大脳新皮質の神経幹細胞や前駆細胞が、どこに存在し、どのような性質を有しているのか、これまで全く明らかにされていませんでした。

 

 また大脳新皮質は、認識、思考、意識など脳の高次機能の中心であり、大人の大脳新皮質でも神経細胞が作られるかどうかは100年以上前から議論の続く重要な問題ですが、はっきりとした証明はされていませんでした。従って、大人の大脳新皮質において神経幹細胞や前駆細胞を同定することは、基礎科学と臨床医学にとって非常に重要なことになります。

<研究の内容>

 私たちのグループは、成熟したラットの大脳新皮質の表層(第1層)に神経細胞を生み出す神経前駆細胞(L1-INP細胞)を発見しました。さらに、L1-INP細胞は、前脳虚血を起こすと盛んに分裂し、抑制性神経細胞を産生しました。また、ラットの行動実験で、新しく作られた抑制性神経細胞が神経回路に組み込まれていることを明らかにしました。以下、それぞれの項目について詳述します。

1)大脳新皮質第1層の分裂細胞

 まず、細胞分裂マーカーであるKi67の全脳マッピングを行った結果、大脳新皮質第1層にKi67陽性細胞が集積していることを見いだしました。さらに、多種の細胞マーカーとの多重免疫染色により、第1層分裂細胞は、抑制性神経伝達であるGABAを合成する酵素であるGAD67を含有していることを明らかにしました。GAD67は、海馬と脳室下帯の神経幹細胞や前駆細胞にも発現しているため、第1層分裂細胞に注目しました。

2)レトロウイルスを利用した第1層分裂細胞の解析

 第1層分裂細胞と分裂して生まれた新生細胞の形態を詳細に解析できるように、膜移行性緑色蛍光たんぱく質(GFP)を発現するレトロウイルスベクターを作製しました。このレトロウイルスベクターを第1層分裂細胞に感染させて多重免疫染色を行い、第1層分裂細胞が球型の細胞で2、3本の短い突起を持っていることを明らかにしました。また、軽度な脳虚血を起こすと第1層分裂細胞は盛んに増殖することが分かりました(図1)。

3)新生細胞についての解析

 第1層分裂細胞から生まれた新生細胞の移動について時間を追って解析すると、第1層から深層(第6層)へ7~10日で到達することが明らかになりました(図2)。新生細胞は、ほぼ全て一様の形態学的な特徴を示し(図3)、新生細胞を多重免疫染色すると、約80%は、GABA陽性の抑制性神経細胞に分化することを見いだしました。その他に、新しく産生された神経細胞は、ニューロペプチドY(約30~40%)、ソマトスタチン(約10%)などを発現していることが分かりました。また、グリア細胞のマーカーを使用して多重免疫染色を行いましたが、新生細胞は全く染色されませんでした。この結果、新生したのは神経細胞で、グリア細胞の新生はないと言えます。新生神経細胞の神経回路への組み込みについて解析するために、ラットの新規探索行動課題を利用しました。探索行動によって活動した神経細胞は、神経興奮のマーカーであるc-Fosを発現しますので、GFPとc-Fosを共に発現している細胞は、回路に組み込まれている新生細胞と言うことができます。ウイルスベクター感染後、虚血を起こして神経細胞新生を誘導し、さらに1ヵ月経過したラットを回転車やトンネルを入れて環境を豊かにした新しいケージに移し、新規探索行動をさせると、大脳新皮質内にGFPとc-Fosを共に発現している細胞が出現しました。この結果は、新しく生まれた神経細胞が脳の神経回路に組み込みまれていることを示唆しています。

 

 以上の結果から、大脳新皮質第1層に神経前駆細胞(L1-INP細胞)が存在することを世界で初めて実証しました。(図4)。

 新生神経細胞に含有されているニューロペプチドYとソマトスタチンには、神経細胞の活動を抑制することにより、神経回路の異常な電気的興奮状態であるてんかんを抑える機能があります。今回、新生神経細胞の80%がGABA作動性であったことから、L1-INP細胞の増殖・分化、新生神経細胞の生存を薬剤などで制御することができれば、脳卒中が原因で起こるてんかんやそれに付随する認知機能の低下を防ぐ治療法の開発につながることが期待されます。

 

 また、統合失調症などの精神疾患では、大脳新皮質において、抑制性神経細胞の数が有意に低下する中間表現型が知られていますが、抑制性神経細胞を増殖・維持させることができれば、精神疾患に対する新しい“細胞治療法”に結びつく可能性もあります。

Isc increase L1INP.jpg

図1 虚血処理による第1層分裂細胞(L1-INP細胞)の増加

A: 健常ラットと虚血処理ラットの脳断面の模式図。赤丸はL1-INP細胞、緑丸は L1-INP細胞以外の分裂している細胞をそれぞれ示しています。

B: L1-INP細胞は、健常ラットの脳中ではほとんど増殖していませんでしたが、虚血処理したラットでは有意に増加していました。

Migraton GFP cells.jpg

図2 L1-INP細胞から産生された新生細胞の移動

A: 虚血後の時間が経過するにつれて、GFP陽性の新生細胞が、次第に大脳新皮質の深部に観察されました。矢頭は、その期間での最も深部に存在するGFP陽性の新生細胞、矢印は下に拡大した細胞をそれぞれ示しています。

B: GFP陽性新生細胞の大脳新皮質内での相対位置をグラフ化したもの。大脳新皮質表面を0、第6層と白質の境界部を1、とした時の相対値で示しています。

Molpho GFP cells.jpg

図3 新生細胞の形態

新生細胞のほとんどは、均一の形態学的特徴を示しました。10ミクロンほどの球型の細胞体、複数の複雑な樹状突起様の突起、1本長く伸びる軸索様の突起(矢頭)を有していました。

図4 本研究のまとめ

L1-INP細胞は、虚血刺激により盛んに増殖し、抑制性神経細胞を産生します。新しく生み出されてきた抑制性神経細胞は、神経細胞の活動を抑制する働きを持つニューロペプチドYやソマトスタチンを発現しているので、既存の神経回路網に組み込まれた後、虚血が原因で起こるてんかんや認知機能の低下を防ぐ役割を担っている可能性があります。従って、L1-INP細胞や新生抑制性神経細胞の増殖・分化・生存が制御できれば、てんかん、認知機能の低下、精神疾患に対する細胞を使った新しい治療法の開発に結びつく可能性があります。

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